最近は「悩ましい」という言葉の意味が違っているようだ。 言葉は変遷を重ねる。 意味や使われ方が変わっても、時間が経てば、そのまま受け入れられてゆく場合もある。
その言葉、以前は「特定の状況で悩む」ものだったが、現在では、なんであれ「悩んでしまう」ときに使って良いようだ。 「悩むなぁ」と言わずに「悩ましい」と言うらしい。 だが、ちょっと違和感がある。
野菜をもらった。 友人が自分の菜園で育てたというが、この大根も「悩ませてくれる」。
食事の前には感謝の言葉を捧げることが大事だ。 声にしなくても、心の中では思いたい。
これは、決まり文句かもしれないが、面白い表現を教えてもらった。
「この食卓にあるものは、塩以外には命がありました。 我々は、自らの命を繋ぐために、その命を戴きます。」
これが「戴きます」のひとつの理由だろう。 命を頂戴する、ということ。
そしてもうひとつ、その食べ物が料理となって食卓に供されるために尽くした人々へ、感謝を込めて挨拶することも、「戴きます」の理由だと思う。
昔は、この大根のようなものを、冗談ではあるけれど、「悩ましい」と言った。
人の形に似ているものを、切り刻んで食べるのも「悩ましい」。 しかし、この大根の命を全うさせるためには、食べてあげることが大事。
だから、敬意を持って心の底から「戴きます」と言うのだ。