暖かい日となった。 庭の様子を見てまわろう。
この木には、瓜に似た実がなるという。 「木瓜」、なぜか「ボケ」と読む。
庭にもあるが実を見たことはない、調べてもボケに違いはないようだが、「クサボケ」という日本の「ボケ」もあるそうなので、それかもしれない。
棘が立派、スゴ過ぎる。 裏庭の山椒と並ぶ棘の王様。
花言葉、いくつかの種類が。 その中に「先駆ける」ともあった。 春の早い時期に咲くからか、桜のように花が葉より先に咲くからか。
我が家のものは淡紅から深紅の班、ツボミがみっつ先行して膨らんでいる。
君は我が家のジャコメッティ。
気温も上がり、日差しが有り難い。 庭で布団を干すことになった。 アミが見張り。
写真にも「ボケ」(シャロウフォーカス)という手法がある。 ボケという失敗も。
ボケは日本的な美意識に支えられている、という解釈がある。 日本の絵画の伝統に倣った構成も、もっと意識して良いのではないか。 わたしたちには「余白」が必要だ。 「ボケは余白のひとつの形」と考えている。
生け花を勉強した人が、アメリカで乞われて花を生けたそうだ。 天・地・人、左右不均衡、そこに美を見出すが、その御屋敷の令夫人に言われたそうだ。
「あら、お花が足りないの? 庭にいくらでも咲いているわ。 好きなだけお使いなさいね」。