日本では「第九の季節」も始まる。 偉大なる詩人シルヘルの「歓喜に寄す」、
それに音を付けたのが第4楽章の合唱ということになる。
「Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125」、「交響曲第9番、ニ短調、作品125」。
Wikiで調べると、彼がこの詩に曲を付けようと考えたのは、彼が22歳のとき、
1792年のこととらしい。 これはロッシーニが生まれた年とも言える。
ベートーヴェンを退場させるのはロッシーニ、と言える部分もあるところが面白い。
要するに、これが流行のサイクルというものだろう。
どちらが素晴らしいという問題ではなく、その時代に於けるポピュラリティーの獲得に
ついての話に過ぎない。
世界中で日本だけが突出した習慣ではないか? 「年の瀬の第九」演奏。
国中でここまでやるのは、少し行き過ぎだと思う。 理解し難い流行である。
理由は知らないが、たぶん金銭的な問題から始まったという説が正しいのかもしれない。
演奏会のチケットを売る方法のひとつは、出演者を増やすことだからだ。
これは、戦後のどさくさの時期の話らしい。 元N響コンマスの話として伝わっている。
もちろん、演奏することは自由だ。 いつでも、誰でも、どのようにでも。
しかし、この曲が年末とは何の関わりもないことは理解してほしい。
あたかも世界の習慣かのように騒ぐのは、同国人として、憂鬱な気分を与えられる。
個人的に、この曲の演奏は「春」が相応しいように感じるが、いかがだろう?
合唱の歌詞で、最も印象的に響く言葉は、そのタイトルでもある「Freude」、
我が家の車のリアウィンドウに貼ってある。 「駆け抜ける喜び」と。
無節操な日本人のおかげで、ちょっぴり憂鬱な「大工の季節」も始まる。
キリストさんの父親は誰か知らないが、育てたのはヨセフさんだろう。
世界的に有名な大工さんといえる。 この月は大工の息子の誕生日が話題となる。
伝説上、この養父は早死にさせられる。 聖母の近くに「男」は不要ということか。
Musik 大工といえばカーペンター。 雨の日と月曜日はサゲだね