これは自家栽培の落花生で作ったサンタクロース。
顔の感じから「ムンクのサンタ」という不謹慎な名前で呼ばれている。
勤労感謝の日である。 ということは、あと一か月でクリスマスとなる。 あるとき、12月24日だったか、出掛けて帰ってくると、夕刊が来ていた。 そこに嬉しいニュースを見つけ、それまでの息苦しさが、少し解消された。 「もう、メリー・クリスマスと言わなくて良い」、そう書かれてあった。
日本で最初のクリスマスは山口の大内家の屋敷で開かれたという。
16世紀中葉の出来事、宣教師が日本人の信徒を集めてミサを行ったようだ。
もちろん、我が国でその後、このミサが公に開かれ続けたわけではない。
宗教的正当性を背景に、日本でこのミサ(集会)が行われる例は少ないと
思うが、第二次大戦の敗戦後、占領軍の「意図」も大きく関わったと思われる。
複雑な背景を持って、日本のクリスマスは存在している。
クリスマスはある意味で、日本でいえば「新嘗祭」であるし、その後継の
「勤労感謝の日」でもある。 「歳暮」という習慣はまだ盛んに行われている。
これらとクリスマスには「通じるところ」を感じる。
そのような心のあり方は、民族の違いを問わない感情ではないだろうか。
イエス・キリストなる人物が実在したかどうか、それは不明だったが、今では
このユダヤ教徒にして、後に宗教上の革命家となる男性は、歴史上の人物と考え
られるらしい。
しかし、まさか彼が「現在の暦の12月25日に生まれた」なんて考える人は
いないだろう。 もちろん、そう考えたい人がいることは構わないが。
科学的な説明を試みるなら、クリスマスは「冬至の祭り」と考えるべきだろう。
つまり、気候として、太陽の輝きとして、これは「復活の日」だからだ。
秋の収穫を感謝し、次の一年が始まる日。 この説には異論無しと思う。
(しかし、これは北半球のエゴとも言える、それに反論はできない)
一年を生き延び、それを感謝し、世話になった人々に御礼をする。
そのくらいのことと考えたい。
キリスト教徒の人々が「メリー・クリスマス」というのは当たり前だ。
だが、その教えについて何も知らない者が、その言葉を口にするのは逆に失礼
ではないだろうか。 言われた方も迷惑千万。
「この一年間、お世話になりました、来年もよろしゅうお願い申し上げます」
心からこの言葉を言える人に、メリー・クリスマスは必要無いのでは?
Musik
Anne Sofie von Otter - Händel: Ombra mai fu